のんびりぬくい感じのぼやき

大学生です。日頃感じたことをダラダラと語ります。

病気の話。

こんにちは。

 

 

お前どんだけ浪人の話擦るねん!と思うでしょうが、どうかお付き合いください。私の人生の1/10を占めているので、自分にとっては大きな忘れられない出来事なんです。

かなり辛い話になっているので、無理だと思った方はブラウザバックをお願いします。

 

2浪目の冬頃の話です。

漠然となんかしんどいな〜と思っていました。もう何もしたくないなと。それでも普通に予備校に通っていました。自分は大丈夫もう少し頑張ればこんな生活とオサラバできると安易に考えていました。ただの受験ノイローゼだから皆そうなんだ、辛いのは当たり前なんだと思っていました。

しかしある時限界を迎えたのか予備校から帰宅し、自宅のドアを閉めた瞬間に泣いてしまいました。それ以来、風呂に入るのもご飯を食べるのも億劫になってしまって、それらを度々放棄するようになりました。所謂セルフネグレクトですよね。もう無理だと思って窓枠に足をかけたこともあります。実際は怖くなってやめましたが。

心身症が出ていたこともあり、この辺りから心療内科に通院して薬を処方してもらっていました。抗うつ剤睡眠導入剤ですね。自律神経が乱れてますね〜と言われたことを覚えています。

 

その時期って、予備校の三者面談があるんですよね。どの大学に出願する予定か、自分の今いる位置はどの辺かとか。それで一人暮らしをしていた家に両親がやってきて、その時に初めてしんどいと伝えました。血のつながった両親にほど「もう無理だから消えたい」とか「助けて欲しい」だとか、そういったSOSを出すことができなかったんです。それがどれ程両親の心を痛めつけることか想像してしまって、言えなかったんです。

当時の私は酷くやつれていたようで、母はかなり心配していました。

三者面談に向かう途中「〇〇みたいにならない?」と言ったことが非常に印象に残っていて、未だにあの時の母の心情を考えてしまいます。その一言にどれだけの心配と痛みが伴っていたのかをです。

(〇〇というのは自殺された著名人のことです。ここでは名前を控えさせて頂きます。)

(因みに母は精神科医です。なので心情を言い出せなかったというのもあります。)

 

面談の直前、控え室で母から「授業休んで家に帰ってこないか?」と聞かれましたが、私は折角大金を叩いてもらって申し込んだ授業だから受けたいと答えました。すると「それも強迫的な考えから来てない?授業のことはいいよ、帰ってきたら?」とも言われました。

昔から私は強迫的なところがあって、電気のスイッチや水道、窓やドアの鍵を恐ろしいほど確認してしまうんです。自分なりの確認の儀式があって、それを阻害されると一からやり直すんです。世間一般でいう「強迫性障害」というやつです。当時精神科にかかった時に、鬱っぽいということと同時に「強迫的だね」と言われました。ただ正式にというわけではありません。「気味だ」ということです。

この事は母にも昔から相談していたので、先述のように「強迫的な考えから来ていないか?」と言ったんだと思います。完璧主義は良くないと何度も言われていたのですが、全然治らなくてダメですね。

 

当たり前なのかもしれませんが、かかった費用より娘の命を優先していることが感じられますよね。本当に母の愛は深いなと思います。

 

突然人にはダメになるというわけではなくて、知らず知らずのうちにストレスを蓄積していくんですよね。それに耐えられなくなった時、一見意味不明にも思われる考えや行動を起こしてしまうんだともいます。

 

精神科や心療内科に通うことは全く恥ずかしいことではありません。行った経験がある人は分かると思いますが、待合室で待っている人たちって「普通」の人たちばかりですよ。心に問題があるように見えないんです。サラリーマン、学生、主婦。普通の人たちがいるだけなんです。「そんな病院に通っている人は頭がおかしい」と思っている人多いんじゃ無いでしょうか。違いますよ。同じ人間なんです。本当に明日は我が身なんです。

 

少しでもしんどいと感じた時はすぐに病院に行ってくださいね。手遅れになる前に。心は一度壊れると元に戻らないことが多いです。寛解と再発を繰り返します。でも治ることもあるので躊躇わないで、自分自身の心を助けてあげてください。

 

 

それでは。